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観音寺市の市章・位置と地勢

ページ番号:0023417 更新日:2020年3月31日更新 印刷ページ表示
■観音寺市の市章

観音寺市の市章

 観音寺市の頭文字(イニシャル)の「K」を図案化したもので、豊かな自然に恵まれた観音寺市を表し、緑の生育(草木・作物等)、水の流れ(海・川)、太陽の温かさ(人・産業・文化の発展)を表現している。全体像としては、市民の調和と市勢の飛躍発展を象徴している。

 


■位置と地勢

観音寺市の位置

 観音寺市は、香川県の西南部に位置し、西は瀬戸内海の燧灘(ひうちなだ)に面し、沖合には伊吹島などの島しょを有している。南は讃岐山脈の雲辺寺山、金見山などを境に徳島県や愛媛県に接し、高知県にも近く、四国のほぼ中心に位置している。市の中央部には三豊平野が広がり、東部から西部に向かって財田川、柞田川などの河川が流れ、豊かな田園地帯となっており、河口付近に市街地が形成されている。東部から南部にかけては山間地が、北部には七宝山などの丘陵地が連なっている。三豊平野にはため池が多数点在し、観音寺市の地勢の大きな特色となっている。

 本市には、国道11号、377号が北東から南西に走っており、それに平行して四国横断自動車道があり、大野原インターチェンジを有している。また、特急列車の停車するJR観音寺駅ほか、豊浜駅、箕浦駅があり、通勤、通学等の要所になっており、高松、岡山までそれぞれ約1時間と交通の便に恵まれている。
 

■沿革

 大宝3年3月21日、神宮寺(今の観音寺)住職法相宗の僧日証上人が、琴弾八幡宮を鎮座せられた当時に始まり、奈良朝以来の古い歴史を有し、大同2年弘法大師が神宮寺に聖観音の像を安置して現在の観音寺を称するに至った。

 観音寺市は平成の大合併により、平成17年10月11日に旧観音寺市、旧大野原町および旧豊浜町が合併し、新「観音寺市」として発足した。この1市2町が合併した新「観音寺市」は、人口約6万5千人、面積は117.83平方キロメートル(令和2年1月1日時点)で、西讃地域の中心都市として重要な役割を担っている。

 旧観音寺市は、昭和30年1月1日に観音寺町、高室村、常磐村および柞田村が合併し市制施行を行い観音寺市となった。同年4月10日には、粟井村、豊田村および紀伊村大字木之郷を編入し、さらに翌年の昭和31年9月30日に一ノ谷、伊吹村と合併して旧観音寺市となった。

 旧大野原町は、昭和30年2月11日に大野原村、五郷村および萩原村が合併し、町制施行を行い大野原町となり、さらに同年4月10日に紀伊村の大部分と合併して、旧大野原町となった。

 旧豊浜町は昭和30年4月1日に豊浜町と和田村が合併して、旧豊浜町となった。
 

■合併の経緯

 このたびの合併に至るまでの経緯等、合併に関する資料は、観音寺市・大野原町・豊浜町合併協議会ホームページをご覧ください。