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河川は市民と親子の間柄

ページ番号:0001145 更新日:2016年3月22日更新 印刷ページ表示

 平成17年10月11日、近隣1市2町の合併により人口約6万5千人、面積117.46平方キロメートルの新観音寺市が誕生した。新市には2級河川が8本流れている。
新観音寺市上空写真 私は幼少の頃から、近くを流れる財田川でよく遊んだ。河口から上流にかけての約4キロメートルが私や友達の縄張りだった。河口付近では海生動植物が、上流ヘ上ると水生植物が、汽水地域では両者が存在する。子供心には不思議に思えたものである。川遊びの体験を通して、農業や漁業に貴重な恩恵をもたらす川の恵みについて学習させてもらった。かつて、私にとっては川は大きな懐を持ち、いろいろのことを教えてくれるやさしい父親のような存在であった。
柞田川 しかし、ゆったり穏やかに流れ、恵みをもたらす川も、時として暴力親父のように豹変することがある。一昨年の度重なる災害時がまさしくそうであった。水防本部長として、消防団員、職員とともに毎週のようにやってくる大雨や台風に夜を徹しての対応中のことである。台風21号の来襲時には柞田川の堤防が決壊する恐れがあるとの情報が入り急ぎ現地に駆けつけた。その時は、消防団員が木流し工法という昔ながらの工法で対処した結果、決壊は免れ、大きな被害を未然に防ぐことができた。あらためて先人の知恵に感心したものである。
 自然に逆らって人間は川の流れを変え利用してきた。確かに生きるためには仕方ないことかもしれないが、川(親父)のためにも、また、市民(子供)のためにも、ともに安心して共存できる河川管理をすることが行政に課せられた責務であろう。「地震、雷、火事、親父」は怖いもののたとえであるが、もしかして、親父は川なのかもしれない。

平成18年3月17日