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よく頑張ったね バル ~続・愛犬バル物語~

ページ番号:0001142 更新日:2016年3月22日更新 印刷ページ表示

 がんばれ東北、一日も早い復旧・復興を願ってやまない今日この頃である。
 さて、私事であるが、我が家には「がんばれバル!」と励まし続けた愛犬がいた。平成23年9月26日午後6時37分、残念ながら、薬石の効なく他界した。16歳と3カ月、腎不全による尿毒症を併発、まさに眠るように大往生を遂げた。

愛犬バル
愛犬バル

 私の出張と重なり、心残りではあるが彼の臨終に立ち会うことができなかった。せめて出かける前に一目会いたい、彼とは最後になるかもしれないと、病院に立ち寄り大きな声で彼の名を呼んだ。「バル、頑張るんだよ!」。目を大きく開いてじっと私を見つめた彼の口から、逆に「今まで本当にお世話になり、楽しい余生を送らせてくれてありがとうございました」と言っている気がしてならなかった。彼のやさしそうな眼差しは、今も私の脳裏に焼き付いている。
 翌朝、火葬場へと向かう娘から、メールと安らかな死に顔の写真が届いた。「今から行ってきます」と。即、娘の携帯に電話をし、彼の耳元にあててもらい、「よく頑張ったね、バル。安らかに天国へ行くんだぞ」と言いかけたが、涙で声にならなかった。でも、私の声は、彼にきっと伝わったと思いたい。
 彼の生涯は大きく3つに分けられる。11歳頃までは、当然のことながら犬小屋生活であり、ストレスからかよく通行人に吠えたそうで、近所からも疎んじられていたようである。足げにされたり、怒鳴られたりしたこともあったと想像に難くない。だから、人になついたり、甘えたりする犬本来の習性が薄かったのではと思う。可哀想というより、何かいじらしいという思いがあった。
 そして、その後の1年間位は放浪の時代に入る。犬にも一宿一飯の世界があるらしく、他家の犬小屋におおそれながらと仁義をきり、平気で相伴にあずかり、時には一宿もしていたようである。しかし、以前にも書いたように、放浪の旅は当家に来たのが運のつき、御用の身と相成ったのである。
 彼との4年間が走馬灯のようによみがえる。散歩中にリードがはずれて居なくなり、慌てて探すものの見当たらない。あきらめて自宅に帰ると、なんと平気な顔で逆に私を迎えてくれたこと。知り合いに、雑巾のようなボロ犬とからかわれ、悔しさのあまりペット専門の美容院へ直行したこと。その後、見違えるように綺麗になり、おまけに雄犬にもかかわらずリボンをつけてもらった彼の姿を見たときには、「そうだ、彼の母親は血統書付きのシェルテイなんだ。ボロ雑巾のような犬ではないのだ」と、自己満足したこと。腹水がたまってしまい、抜く度に大丈夫かと心配させられたことも10回以上を数える。その度に「心配ないぞ、彼は驚異的な生命力の持ち主なんだ」と、自分に言い聞かせた。大きな病であるフィラリアを克服した生命力、白内障を患い散歩中に何度も転びそうになりながらも、必死で歩く彼の強い精神力におそれいったものである。しかし、急に足腰が弱まり、立つことすらままならぬようになり、起き上がろうにも起き上がれない。足をバタバタするうちに、血だらけになり悲しそうな、痛そうな鳴き声を聞いた時、もう長くは生きられない、あきらめなければと思ったこと。近所のご婦人が彼を見る度に、「ガンバル、バルちゃん。私も一緒にガンバルからね」と話しかけてくれたことなど、枚挙にいとまがない。
 しかしながら、数多くの人に愛され、その人達に癒しを与えてきた彼の姿を、もう見ることはできない。
 彼の死後になるが、たまたまテレビを見ていたとき、その番組の中でスペイン語で居酒屋のことを、“バル(Bar)”ということを知った。確かに最初の飼い主は割烹店を営んでいる。彼の命名の由来は知る由もなかったのであるが、彼の今際の言葉で私に教えてくれたのだと思いたい。
 いずれにしても、彼はもう居ない。自宅に帰るたびに彼の姿が見えない現実を受け入れざるを得ないのである。どうか、天国で安らかに眠って欲しい。そして4年という短い期間であったが、私の心を癒してくれたこと、また多くの人に愛され、多くの人の心を癒してくれたバル。
 よく頑張ったね、バル。さようならバル、永遠に。

平成23年10月